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Not alone

セイジ -陸の魚-

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見てきたのは、ちょっと前なんですが、どう感想を書いて良いのかと考えているうちに日が経ってしまいました。

セイジは、監督もインタビューで言っていましたが、さまざまな年齢の人や境遇によって見方が変わる映画ですね。

以下はネタバレが含まれます。長いです。

台詞はほとんどなく、登場人物たちの動作や表情から感じ取り物語を理解していく。
まるで、小説の行間を読むみたいに。

主人公は、自転車で旅に出る。特に目的もなく。
その途中でイノシシの死体を見つける。
見つけ通りすぎるだけでの僕。
そこに、車で誰かがやってきてイノシシの死体を持っていく。
呆然と見つめる主人公。
後に、この死体を持って行ったのはセイジだと分かる。
動物の死に対して通りすぎ何もしなかった主人公と、その死に向き合うセイジ。
この二人の行動の差が後の行動の差になるのでしょうか。

セイジは、農地を荒らす動物を処分することに対して抗議する動物愛護団体にこう言います。
「人間が多すぎるだけだ。」
世界は、強いものが生き、弱いものは死んでいく。
弱いものを助けるだけで全ては解決するのか。根本的に解決する策は何なのか?
セイジが言う「人間が多すぎる」つまり、人間の数が少なくなれば動物が人里を襲ったりはしない。
だけど、セイジは言う。動物愛護団体の人たちの考え方が間違っているとは思わない。
この場面で、セイジは自分の考えを言うけれど、相手の考えを否定はしない。どちらでもない、中立的な立場なのか。

また、主人公が興味本位にセイジの部屋から古いフィルムを見つけ、上映する。
そこには幼い女の子の映像。
主人公はこの女の子は誰なのか分からないが、そこにセイジがやってきて、これは死んだ妹だという。
おそらく、セイジにとっては大切な妹であり、悲しい体験の一つであり、見られなくなかったものではないか。
しかも、このフィルムを主人公は間違って燃やしてしまう。
だけど、セイジは起こらず、微笑む。
今まで、近所に住むリツコちゃん以外には笑顔を見せなかったセイジが静かに優しく微笑む。印象的な場面。
ここで、なぜセイジは怒らないのだろうと思う。
怒らないことで、主人公との間に波風を立てないつもりなのだろうか。

そう思っていると、幼いリツコちゃんが目の前で両親を殺され、自身も左腕をなくすという惨劇が起こる。
今まで静かに淡々と進んでいた物語にとっては、大きな転換。
ドライブインに集まっていた常連客たちは、生きる屍のようになってしまったリツコちゃんを励まそうと家に訪れる。
だが、仲良くしていたはずのセイジは、行かない。
他の誰よりも悲しいはずなのに見舞わない。それは、セイジ自身が傷つかないためなのか。
そして、主人公の些細な企みによって、リツコちゃんを見舞うことになったセイジは、生きる屍のようなリツコちゃんを目にし、自分の左腕を斧で切り落とす。リツコちゃんと同じように。
その場面を見たリツコちゃんは、表情を変える。
この場面、観客にとっては理解しがたい行動かもしれない。
私自身も、理解できない。
なぜ、セイジはリツコちゃんと同じようになるために左腕を切り落としたのか。
セイジは、リツコちゃんと同じ痛みを感じることで、リツコちゃんの心を取り戻そうとしたのか。
でも、その行動は衝撃的で、リツコちゃんにとっては悲痛な体験を再び目のまで見るだけじゃないのか。
その20年後、大人になったリツコちゃんは、神を見たという。。
両親を殺され、左腕を失くした少女が生まれてきた意味は何だったのか。こんな体験をさせるために生まれてきたのなら、神は何をしたいのか。神なんて信じない。
そうリツコちゃんの祖父は言う。
祖父が神を信じられなくなったというが、リツコちゃん自身は、自分と同じ痛みを受けるセイジを神だと感じたのか。だから、救われたのか。

でも、何だか腑に落ちないまま、ピアノの印象的なメロディが流れ、物語が終わる。

台詞が少ないため、映像を見ながら考えている。
一度見たあとに、もう一度見ると、見方が変わっているかもしれない。
ただ、台詞が少なく映像で見せるのは良いけれど、その加減が良くない。
説明不足気味で、少々観客を置いていっている気がする。
予備知識(日本映画magazineを事前に読んでいると良いかも)がなく、理解しきれない観客は、どんどん映画の世界から置かれていってしまうのでは?
もう少し映画を楽しませるためにも、説明するような台詞は少し増やしても良かったのかも。

そして、映画は時系列に進んでいくかと思っていれば、時間が逆行する。
冒頭にセイジがイノシシを運ぶ場面を見せたかったかもしれないけれど、構成を変えて時系列に進めたほうが良かったと思う。
元々、主人公が20年前の出来事を思い出すという構成なのだから、過去の出来事の中に過去を遡るのは、少々混乱する。

また、私は原作を読んでいるけれど、原作をベースにセイジの過去が描かれている。
セイジには、あのような過去があるからこそ、人の悲しみに敏感であり、傷つかないため一定の距離をとり、中立を保つ。
原作では、セイジという人物像に現実味を感じなかった。それはそれで、良いのかも知れないけれど、映画でセイジの過去が描かれているので、最後の衝撃的な行動を起こすセイジのメンタリティが理解しやすいのかもしれない。

少々、腑に落ちない場面があったので、映画としては最高に好きとは言えない作品。
でも、何年か後に再び見たら、違う感じ方をしているかもしれないと思うと、不思議な作品。

西島さんは、絞りに絞った素敵な肉体。
人とは違った異様な雰囲気を持つセイジ。
映画の中には、西島秀俊ではなく、セイジがいた。
そう思える。
翔子さんとのラブシーンは、綺麗。光の加減が良くて、浮かび上がるセイジの体が大げさじゃなくて彫刻みたいだった。
ただ、ラブシーンは良かったけれど、このシーンの必然性を感じなかったのが残念。
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